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端島 (長崎県)[はしま]
端島(はしま)は、長崎県長崎市(旧高島町)にある島である。明治時代から昭和時代にかけては海底炭鉱によって栄え、東京以上の人口密度を有していたが、1974年(昭和49年)の閉山にともなって島民が島を離れてからは、無人島である。軍艦島(ぐんかんじま)の通称で知られている〔日本離島センター編 『SHIMADAS : 日本の島ガイド』 日本離島センター、2004年(第2版)、848頁。〕。2015年、国際記念物遺跡会議(イコモス)により、軍艦島を構成遺産に含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録された〔「明治日本の産業革命遺産」 国内19番目の世界遺産に正式決定 ライブドアニュース(2015年7月5日)2015年8月20日閲覧〕〔「やっと」「希望無限」九州に歓喜 世界遺産登録 西日本新聞(2015年7月6日)2015年8月20日閲覧〕。 == 地理 ==
長崎港から南西の海上約17.5キロメートル〔『軍艦島の遺産』13頁。〕の位置にある。旧高島町の中心であり同じく炭鉱で栄えていた高島(の南端)からは南西に約2.5キロメートル〔の距離にあり、長崎半島(野母半島)からは約4.5キロメートル離れている。端島と高島の間には中ノ島という小さな無人島があり、ここにも炭鉱が建設されたが、わずか数年で閉山となり、島は端島の住民が公園や火葬場・墓地として使用していた。そのほか端島の南西には「三ツ瀬」という岩礁があり、端島炭鉱から坑道を延ばしてその区域の海底炭鉱でも採炭を行っていた。 端島は本来は、南北約320メートル、東西約120メートル〔『軍艦島の遺産』38頁。〕の小さな瀬であった〔『軍艦島の遺産』33-34頁。〕。その小さな瀬と周囲の岩礁・砂州を、1897年(明治30年)から1931年(昭和6年)にわたる6回の埋め立て工事によって、約3倍の面積に拡張した〔〔『軍艦島の遺産』158頁。〕。その大きさは南北に約480メートル〔〔、東西に約160メートル〔〔で、南北に細長く、海岸線は直線的で、島全体が護岸堤防で覆われている。面積は約6.3ヘクタール〔「注目浴びる日本一小さな町 艦船に間違えられ「軍艦島」に 」『月刊地域づくり』2001年4月号。〕、海岸線の全長は約1200メートル〔共同通信「長崎の軍艦島35年ぶり上陸解禁 元島民ら70人訪問 」47NEWS、2009年4月22日。〕。島の中央部には埋め立て前の岩山が南北に走っており、その西側と北側および山頂には住宅などの生活に関する施設が、東側と南側には炭鉱関連の施設がある。 年間平均気温は15から16℃〔『高島町の足跡』、2頁。〕〔『高島町政三十年の歩み』、47頁。〕。平均降水量は2000ミリメートル〔、冬は比較的雨量が多い〔。夏は南東風・南風、冬は北西風・北風が多い〔(いずれも旧高島町についてのもの)。 端島を舞台とした1949年(昭和24年)の映画『緑なき島』のタイトルにも現れているが、この島には植物がとても少なく、住民は本土から土砂を運んで屋上庭園を作り、家庭でもサボテンをはじめ観葉植物をおくところが多かった。また、主婦には生け花が人気であったという。西山夘三も草木はほとんどないと述べているが、これについては誇張的という指摘がある〔『軍艦島実測調査資料集 追補版』623頁。〕。閉山後の調査では二十数項目の植物が確認されており、特にオニヤブマオ(イラクサ科)、ボタンボウフウ(セリ科)、ハマススキ(イネ科)の3種が端島の主な植物として挙げられている〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「端島 (長崎県)」の詳細全文を読む
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